安臥の奥座敷 大原

 1月の2時半、京都の大原に到着した。

 

 大原を代表する観光地、三千院は5時に閉まる。

 

 他の観光地や有名なレストランも同様だった。

 

 時間の無さに焦り、効率的に大原を回ることとした。

 

 幸い、昼食は京都駅で済ましてきたので、損をせず観光できるはずだ。

 

 結婚2年目の私は、妻と良い思い出を作ることに躍起になっていた。

 

 とりあえず、三千院まで向かうことに決めた私と妻。

 

 品のある古民家風のお土産屋と、石垣と落ち葉が同居する川を脇目に三千院へ急ぐ。

 

参道沿いの川。奥に店が見える

 

 息を吸うたび、清涼感が全身を満たす。

 

 石垣の上に乗った白い漆喰塀に挟まれた三千院の表門は、城郭と見間違うばかりの壮麗さであった。

 

 拝観料を払った後、順路に沿って建物を巡っていると、したり顔の妻がこういった。

 

 「詫び寂びって感じだね」

 

 あってはいるし、適切な表現を探して閉口していた私に比べれば、遥かに良い。

 

 それでも、なんか「うん、そうだね」とは返せず、小さく頷いた。

 

 まさしく「静謐」(他サイト様にあった表現)というべきであろうか。

 

 途中、江戸時代から存在する庭園を眺めつつ、抹茶を楽しめるサービスもあったが、時間の制約から断念した。

 

 建物から出て順路を進むと、原風景の山野を苔でコーティングしたかのような別の庭園があった。

 

三千院を代表する庭園の1つ。有清園

 

 広い庭園の中に点在する立て看板さえも、自然なものに思える。

 

 庭内の池は、スマホを落としても壊れなそうだった。

 

 この景色をどのように表現するか閉口していたところ、ニンマリ顔の妻が言う。

 

 「詫び寂びが出ちゃってる」

 

 詫び寂びが出ちゃったのか。

 

 そう。まさしく閑寂(類語辞典より)である。

 

 観光サイトを見たところ、お土産屋が閉まるまで余り時間はなかった。

 

 思い出を形にしたい思いから、三千院を後にした。

 

 土産物を漁るサラリーマンの心持ちになった私は、妻と早足でお土産屋を物色した。

 

三千院の参道沿いのお土産屋

 

 そんな中、人懐っこい笑顔の老人が「うちの店を見ていかないか?」と声をかけてきた。

 

 私は、悪質なキャッチにあって以来、このような勧誘に苦手意識を持っていた。

 

 それでも無視するのは気が引けるので、小心者の私は答えた。

 

 「時間がないのですみません」

 

 すると、

 

「大原は時間が止まっているんです」

 

「もっとゆっくりしていってください」

 

 とはっきりした声で言われた。

 

 私は心がこもっていない返答をしたように記憶している。

 

 思い返せば、私は大原に都会を持ち込んでいた。

 

 ここには、不健康そうに呼吸をするビルもなければ、バスの時刻表以外に時間を示す掲示板もない。

 

 耳を澄ませば、

 

「焼き芋~、焼き芋~」

 

 と子供の楽しそうな声が聞こえてくる。

 

 おばあさんが「はい、はい。」と答えたのは気のせいだろうか?

 

 お土産の物色をやめ、もう少し観光することに決めた私と妻は、三千院前の店に入り、みたらし団子を食べることとした。

 

 時間をかけて焼かれたみたらし団子は、とろけそうな頬より柔らかく、甘じょっぱい。

 

みたらし団子

 

 妻が笑顔で、「美味しい」と言った。

 

 食い物に「詫び寂び」を感じなくて良かったと思う。

 

 その後、三千院から徒歩で20分かかる「音無の滝」に向かうこととした。

 

 「音無の滝」の近くには、神社も喫茶店もない。

 

 進むにつれ、人家がまばらとなり、森林が見えてきた。

 

スニーカーを履いていれば、無理なく歩ける

 

 落ち葉を踏みしめつつ、滝を目指して進む。

 

 山の澄んだ空気とヒノキの香りは酸素カプセルにも勝る。

 

 滝に近づくと、小川が私と妻を出迎える。

 

 

 その川は、色を失った落ち葉と泥が沈殿していた。

 

 プカプカ浮かぶ枯れ枝も不格好だ。

 

 美しさを覚えた私は、川の水をくみ取りたい衝動を抑えた。

 

 とうとう「音無の滝」に到着する。

 

 滝行もできないし、「ザアーッ」と大げさな音もしない。

 

 黒い岩肌に水が流れ落ちる。

 

 写真や絵が不得手なことに、これほどの悔しさを覚えたことはない。

 

 

 今は冬、そろそろ帰り始めないと、道が暗くなってくる。

 

 私と妻はバス停に向かった。

 

 途中、見たいものを見て、寄りたいところに寄った。

 

 それで後悔はない。

 

 バスに乗った私と妻は、明日の予定を話し合っていた。

 

 次は、朝から夕方まで大原を回りたいと思う。

 

 時間の止まった大原を知るのには、時間が必要だ。